息子が3歳になった時、息子に対する躾を厳しくしました。
ダメな事はダメ。
ダメな事をした時はちゃんと叱る。
お片づけが出来た時、ご飯をきちんと食べた時など何かがちゃんと出来た時にはしっかり褒める。
そういう子育てをしてました。
ある日、息子の癇癪が酷くなったのです。
少し心配したので自分の親や子どもを持つ友人に相談しました。
すると皆「そういう時期だよ。」「うちの子もそうだよ。」というのです。
ですから息子の癇癪については深く考えませんでした。
しかし、癇癪を起こされるとこちらもイライラしていき、感情で怒ってしまうことがしばしばありました。
きっとそれはしてはいけない事だったと思います。
「お母さんだって人間だし感情的になる事もあるよ。」と友人が言ってくれたことがあります。
確かにそうなのかもしれないのですが、やはり頑張って堪えるべき感情だったのだろうなと思います。
いつからか、息子と離れたい、1人になりたい衝動に駆られました。
きっと叱り疲れていたのです。
「ちゃんと躾しなきゃ、ちゃんとした子に育てなきゃ」とう気持ちが強すぎたために、息子にはとても窮屈な思いをさせてしまったと思います。
躾に力が入るほど、息子の癇癪が酷くなっていきました。
そんなある日、
「躾をしているのではない。周りからいい子ですね。しっかり躾されてますね。」
と言われたいだけ、思われたいだけではないのかと思いました。
冷静になって息子の様子を見てみると 、叱る事というのはとても少なかったのです。
子どもに完璧を求めていたのだと反省しました。
自分だって完璧ではないのに子どもにばかり求めてダメな母親でした。
それに気づいた日から、息子を今まで以上に褒めるようにしました。
「ダメな事」というのも命に関わる事、他人に迷惑がかかる事以外は「もー」だけで終わらせるようにしました。
つい先日、詰め替えしたばかりのボディソープを息子が空っぽになるまで使い切っていた事がありました。
詰め替えたばかりだったので正直、がっくりときましたが、理由を聞いてみると「お風呂の床を掃除してたの」との事でした。
「そうかー。ありがとう」
としか言えませんでしたが、「ありがとう」と言われた時の子どもの嬉しそうな顔を見ると本当に「ま、いっか」と心が穏やかになりました。
以前なら理由も聞かず叱るというより怒鳴りつけていたと思います。
きっと息子の笑顔を見ているようで見ていなかったのかもしれません。
子どもの笑顔は怒りを鎮めてくれる鎮静剤のようです。
「三つ子の魂百まで」とい言葉があります。
幼児期の性質は一生変わらないというものです。
しかし、どこかで「三つ子の魂百まであるわけない」という言葉を耳にしました。
「確かに三つ子の時の性質は変わらないのかもしれない。
しかし、どんどん成長していくと社会にもまれ色々学んでいく。
そうすると、三つ子の魂を包む知識がつく。」
よく母も「三つ子の魂百まで」と言います。
しかしもうその言葉には囚われない事にしました。
先の事を見すぎると今が見えなくなる。
今の息子を見ないといけないのだと学びました。
躾は大事だとは思います。
しかしそこに、親のエゴをのせるのはきっとダメな事なのかなと思います。
叱る回数が減るにつれ、息子の癇癪が減り、今では無くなりました。
その代わり周囲に「すみません」とい回数は増えました。
しかし良いのです。
「すみません」と言っているそばから次のすみません事案にまっしぐらしようとも、「すみません」で済むのならば。
そのうち、親の姿を見て、息子も色々学んでくれるのだろうと思います。
最終的に思うことは、「私と主人の子どもなのだから大丈夫」という事です。